| 目次 - 2006その1 |
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by ユーダイ
(※これは他の実演家をことさらに批判しようというものではありません。目的や状況に応じてヘッドセットを使うことまで、否定はしません。また、声量の少ない人が使うのはやむを得ないことだと思います。ここではただ単に、自分自身のスタンスをきっちり明らかにしておく為にのみ述べております※) 最初に述べておく。ヘッドセット使用は妥協の産物である。街頭紙芝居であのテの物を使っていた者はいなかったのは当然、現代であっても、あれに依存しているようでは、語り手として疑問だ。 ではなぜ、何に妥協してヘッドセットなのか。 [1]依頼者との妥協 私がマイクを使用する状況には2種類ある。 ・ひとつは、商店街の賑わい、反響物のない場所で許容量を超えた人数を相手にする場合など、非常にやむを得ない場合である。 これらは「町を元気付ける」等々、当活動の趣旨(:「3つの願い」参照)に即したことだと捉え、かつ、観客のニーズのひとつだと考えて実施している。 ・いっぽう、イベント系の依頼などで、騒がしいコーナーの隣に配置されるなど、思いがけず不利な実演環境に直面した場合にも使用している。しかしそれは飽くまでも妥協なのだ。 時々、イベント主催者の一部に、"まつり"の「賑やかし」目的や、「場つなぎ」目的で依頼してくる方がおられる。『なぜ紙芝居なのか?』・・・そんなことは考えにない様子であることが意外に多い。 うまくヒットすれば、直に顧客の獲得にだってなるだろう。 "子守"が必要なら、それ相応の専門家なり得意な人なりを・・・ と、「なぜ・・・なのか」という必然性が全く感じられない安易な企画が素人企画には結構多い。 --------------------------------- 企画がおざなり、目的があいまいであることは、目に見える結果として表れてしまう。 ・例えば、騒がしいことが当然予想されるゲームコーナーの隣で実演させるような場合・・・ ・例えば、依頼者が実演の場にいないような場合・・・ <呼んだ以上、最初から最後まで責任を取ってよね!> そんなおざなりな扱いをされると、結局は紙芝居実演そのものに響き、子どもはそれを敏感に 感じ取ってしまう。「当日はバタバタしていますので・・・」などという主催者、退散! -------------------------------------------------------------------------------- 以上の例は、「依頼者サイドとの妥協」に関することだ。これも避けたいものではあるが・・・ しかし、妥協には、もうひとつ、いや、もっと根源的なものがある。こっちのほうこそ、 否が応でも打ち破らねばならない壁だと言える。 [2]実演家自身の内なる妥協 実演家のはしくれとして、ヘッドセットはタチの悪い「浮き袋」だと自己宣告しておこう。 少なくとも、ヘッドセットを使用した回は「場数」として数える訳にはいかない。 ・・・生の自分の声で勝負していないのだから! マイクの音声というのは、アレはニセモノである。気迫が足りなくても、 覇気がなくても、なんだか大音量になってしまう・・・便利グッズには落とし穴がある。 観客は、ニセモノに触れてしまう。気迫に欠ける、機械に依存した自己満足の実演に騙されてしまう。 ・・・子どもを騙すとは何事か!! 第一、どこの世界にマイクで語りかける語り芸(大道芸ルーツ)がありますか? どこの誰が、マイク片手に語り合ったりするだろう?マイクで会話する?マイクで一対一の会話をす るだろうか? ヘッドセットを使ったあとでも、子どもが寄ってくると、いったんアンプを切ってから会話するようにしてい ます。・・というより、切らずに、親密でプライベートな内容の会話など出来たもんじゃないです。 ねえ、紙芝居って一対一の会話なんですよ。ピンポンなんですよ。 マイクじゃ、デモやアピールみたいじゃないか?大切な会話なんですよ。 「泣かなくていいんだよ・・・」と演じているとき、紙芝居を通して、観客ひとりひとりにむかって 「泣かなくていいんだよ・・・」と言っているのと同じだという・・・そういう世界なんですよ。 デリケートで、子どもの心に寄り添って演じる、そういう世界に、バリバリの機械音が、 人間の声を真似たロボットの声が侵入して来てよいものか!? ・やはり、私は、子どもをだますようなマネをする訳にはいかない。 ・ニセモノを観客に与えて自己満足する訳にはいかない、断じて! ・デモや街宣活動は政治結社に任せとけ! ・親密な一対一のやりとり、これを大切にするために! ヘッドセットは、排除の方向性でいこうと思う。いや、方向性ではなく、"原則排除"だ! ..2006/ 9/13 (Wed)
PS:ユーダイにむかって「後方では声が聞こえにくかった」などと言う人がたまにいる。そりゃ勘違いもはなはだしい。誰に向かってそんなことを仰っているのか考えてみて欲しい(笑)。神社や公園で何年もマイクなしで充分、ジュウニブンにまかりとおって来た私だ! ・・あのね、後方の子どものすぐそばで実演を観たのですか?・・一緒に地べたに座って、紙芝居を観たのですか?・・もしそうなら、はっき り声が届いているはずだ。 「監視席」だか「下馬評席」だか、第三者的な目で後方から「見聞き」しても無駄ですよ。そんな人に向けて演 じちゃいませんから!声は観客に届かせるものなんですから。 ・・んで、そのテの人に限って、「ヘッドセット持ってきてないですか?」などと言う。なーーーーんも判ってない。「紙芝居とは何か?」以前 に、絵本ってなーーに?演劇ってなーーに?と問い詰めたい。それ以上に、肝心なことが、これ。 >>『あなたはそれで本当にいいのか ?』<< 企画や設営の段階でよーーく考えて下さい。現地に立って考えて下さい。用品を組んで考えて下さい。『もしわたしがこの状況で絵本なり 紙芝居なりをやらされたら、心からOKだろうか?』『この企画、このコーナー配置で読み聞かせをして、問題ないだろうか?』、と。ま、紙芝 居は再三申している通り、「読み聞かせ」なんかじゃないんだけどね!) ね?わかるでしょ?隣に賑やかなコーナーがあったら子供も気が散漫になるし、実演家も不快ですよね?じゃあ、妙なコーナーは別の場 所に移しましょうよ!どうせ室内なら、密室のほうがベストだとは思いません?中途半端な区画でやってみたいと思います? 事前にご自分でやってみて下さい!最初のひとくさりでもいいから! |
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by ユーダイ
いやー、ありがたいこっちゃ♪ 一昨日、軽井沢の児童館から、箱いっぱいのもろこしが届いたんです。めっちゃ甘くて、美味いのな んのって!こういう心遣いがまた、ありがたいですね。早くお礼状書かないと(汗 感謝といえば、この夏。 都内から横浜・埼玉・軽井沢まで駆け巡った紙芝居三昧の夏でした、今夏も! 杉並の小学校の授業もトピックなんですが、ここはとくに夏休み期間に限定ということで。 そうなると、やっぱり横浜歴史博物館。それと本日(9/3)の公園ライブ"納涼スペシャル"。 出張実演と自主公園ライブと、両方に目玉ができて感謝感激! 作家の志村さんとの出会いもトピックのひとつですな。おかげで、とうとう幻の黄金バット続篇が実現し た訳なので。博物館で初公開したときの、あの会場に満ちた期待感!"おおっ"と湧き上がる歓声。 お客が盛り上がれば実演家も盛り上がる。そうなるとお客はますます・・・という相乗効果。気持ちと 気持ち、心と心のピンポンが肌で感じるようにして実感できた、素晴らしい経験ができた。 オリジナルはほんと、やめられませんな、マジで。 公園ライブのほうは、コンスタントに継続できたゆえに固定ファンもいた去年に比べ、生憎の雨に見舞 われ、4月以来一度もやっていなかったのを、後半戦、挽回を狙います! 7月は他県に出張して休止というNGをしてしまい、8/27に来てくれた熱心なファミリーが(直接にはコメ ントなさらないんだけど)どうやら7月見に来られたのにやってなかったらしい、、、う〜ん、反省! 定期ライブは大切にしないと。第4日曜日に出張に出るようではいけませんな。 それはともかく。8/27は「どうしても見たい」という熱心な男の子がいて。 9/3は人数の多さだけでも感謝なのが、あんこーる、アンコール!と声があがるあの嬉しさ!充実感! 子どもたちの期待に満ち満ちた表情、目の輝き! 応援に駆けつけてくれた姪っ子(一歳)に飴をくれた、やさしい男性(他の子のお父さん)。 おお、世代を超えた交流ができるんですねえ、公園紙芝居は!・・・もちろんこの町の人情深さ、元々 の良さが現われたのでもあるんだけど、それが発現されるよい具体的なきっかけになった訳ですな。 こういったことを目の当たりにできたことも、感謝! 健康ってのも、ほんと感謝だよ。これは恵みなんですね。自然治癒を期待できると医者に診断されると いう順調さです。ベストコンディションでなくても、そのときのベストを尽くしたならそれがベストなんだと いう、そんな学びができたことも感謝。 ..2006/ 9/ 3(sun)
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by ユーダイ
いや〜、びっくりした。なんとなしに去年TVKに出たときの「黄金バット」の実演を見て…。 ヘタクソなのなんのって!お話にならない。盛り上げどころがつかめていない、必死な場面で "必死さ"がない、泣く場面でちっとも悲しそうでない、、、などなど突っ込みどころだらけ! まあ、「5分に短縮して」などとイリーガルな依頼を受けた結果でもあるんだけど、それ以上に、 練りが足りない。演技以前に、絵と対峙していない。 今「バット」が巧いのか?と言えば、そうでもないと思う。だけど、一年前とは格段の差が出ている。 場数で補われ、子ども(お客)に培われた、芝居の熟成だ。途中段階だけど。 世界の平和のために、いたいけな少女が命がけで最終兵器の秘密を守る。ナゾーに死刑宣告され、 涙を流す場面で、泣く演技をするとやはり子どもの表情が一変する。 「悲しいな。なんとかならないのかな。」と、感情移入しているのが表情で判る。 そこで正義の味方の登場!・・・と、こうこなくっちゃいけない。実演を通して子どもから学んだことです 。 ..2006/ 8/31(木)
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by ユーダイ
いずれTVも新聞も来なくなるだろう。でもこの活動で得た人の「輪」はいつまでも残るだろう。 地元三世代の心をとらえた森下正雄さんのように、私も子ども達一人一人、観客、依頼者、 訪問者の一人一人とのふれあいを大切にしていきたい。 それには「バタバタしてまして・・・」という言い訳をしないようにする必要がある。 それはただでさえ見苦しいのだ。 一日に2箇所でやったり、2日連続でやったりすることよりも、はるかに大切なことがある。 それは一人一人に向き合う時間をいかにたっぷり持ったか、である。 『地域(地元)を元気付けたい』 『紙芝居の魅力と感動を共有したい』 『子どもの文化に影響し、原風景として溶け込んでいきたい』 ・・・"3つの願い"だが、このどれをみても、やはり「時間とまごころ」なのだ。 地域に"密着"、感動を"共有"、"じっくりと"影響"(三世代にまでも!)するという、 どれも「じっくり煮込む」ことをして始めて成り立つことだろう。 あちこち遠出するのも悪くはない。元気付けたい対象(町)を開拓するためには、たまに 遠出もしたらいいだろう。 紙芝居から紙芝居へと東奔西走するのも間違ってはいない。一人でも多くの子ども達に 紙芝居の魅力を紹介するためなら、駆け回ることも惜しむまい。 しかし、この目的や願いを外れてしまったとき、活動自体に摩擦が生じるのではないか。 もっと非常に単純な願いを述べるならば、私は紙芝居を通して人と出会いたい。紙芝居 を通して子どもと出会いたい。とくに子どもの笑顔に出会いたい。これは私の原動力 でもある。(もちろん「紙芝居を深めたい」が一番なのだが) 優先順位を逸してはまずい。関係作りが最優先である。場数を踏んで紙芝居を高めるのは その次の優先である。しかし、あちこち遠出したり 活動のために休日を削ったり、なんたら かんたら・・・というのは二の次三の次だ。 ..2006/08/11(Fri)
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by ユーダイ
メンバー募集に関して - 当サイトの主旨について - 確認のようなもの ..2006/ 1/22(sun)
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by ユーダイ
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(以下、引用などが多いため、私の文章というよりは、参考文献の一種とみなして頂ければ助かります)
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///深層メモ///
『紙芝居にとってよい絵とは何か?/紙芝居にとってよい脚本とは何か?/紙芝居にとってよい演出とは何か?』(*脚注1)
ということを追究し、『紙芝居にとって』最適化された作品、実演(演技)に最適化された作品を作ることが目的なのです。
メディア(解説の道具として扱う。内容にこだわる)、イベント(演芸にこだわる)、レトロ(街頭紙芝居の再現・復元にこだわる)
・・・この3つのこだわりを"避けるべきもの"と考えています。
「印刷紙芝居よりも街頭紙芝居のほうが迫力がある」、「街頭紙芝居には子どもを惹きつける力が元々秘められている」という
感想を持っているものの、時代逆行でレトロをやればいいのかというと、そうではない。しかし街頭紙芝居はあれだけ魅力を発揮
したものであるだけに、その
功罪を含めて、再検証する価値があると見ています。その意味では、街頭紙芝居の復元をやってみることも企画しています。
ただ、しつこいようですが、復元にこだわる訳にはいかない!こういうスタンスなのです。
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紙芝居を歴史として並べてみると
街頭紙芝居 > 教育(印刷)紙芝居 > 手作り紙芝居運動
という流れになります。
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これに阪本一房(紙芝居師)氏の評価を加えると以下のようになる。
街頭紙芝居[古典芸能] > 教育(印刷)紙芝居[新派] > 手作り紙芝居運動[演劇で言う新劇運動に相当するもの]
という流れになります。
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@「ユーダイ座」は、紙芝居作品は"抜け殻である"、つまり「実演されて初めてその真価を発揮するもの」と捉えています。
@印刷紙芝居にも演出の余地が(有り過ぎるほどに)ある!
印刷紙芝居は、紙芝居にとって最適化されたものだとはお世辞にも言い難いものである!
実演経験のない者が創作に関わっていることが余りにも多いこと。"実演者抜き"の出版が横行している!